渋パブ・リレー・エッセイ (RELAY ESSAY)

百「見」は一「験」にしかず

2008.12.15

弁護士 若松 光晴

「百聞は一見にしかず」というのが正しいことわざだが,標題は,私が最近とみに感じることである。 すなわち,実際に経験すること,自分でやってみることが,何よりも勝る,身に付くということである。

私は、裁判官として5年間の実務経験を有しているが、弁護士としての仕事の経験は、まだ浅い。 裁判官としての経験はあっても、自分が、弁護士として仕事をするとなると、裁判官とはまた視点や力点が異なることが多く、 まだまだ自分が法律実務について学ぶことが多いことに気付かされる。 また、裁判官として、多くの弁護士の先生方の仕事を見てきたが、自分が同じ立場になってみると、 裁判官として見てきたときはよく分からなかった、弁護士の苦労、そして喜びが、身をもって、 分かってきたように思える(もちろん、裁判官として、多くの事件を担当した経験は、 現在の弁護士の仕事の上でも十分役立っている。自分が裁判官の仕事を百(?)「験」していることは、大きなアドバンテージである。)。

もっとも、このような感想を持ったのは、今回が初めてではない。 司法修習生から裁判官に任官し、裁判官としての仕事を始めたときにも、 自分は司法修習生として裁判官の仕事を本当に十分見ていたのか、冷や汗をかいた覚えがある。

曲がりなりにも、司法修習を終え、実務経験もある自分も、このように思えるのであるから、 実務経験の全くない法科大学院生にとって、一「験」は、非常に貴重かつ有意義な機会である。 当事務所が力を入れている臨床法学教育(リーガル・クリニック)の眼目は正にそこにある。

それでは、一「験」が、百「見」に勝るのは、どうしてだろうか。それは、一「験」は、事件処理にかかわる法曹として自覚を持ち、 責任を負うことに伴って、当然のことだが、真剣さや熱意に深さがあるからであろう。逆にいえば、「百聞」や百「見」でも、 その真剣さや熱意があれば、一「験」に及ばないまでも、相当の成果を上げられるはずである。法律の勉強においては、 弁護士として、依頼者の権利を確保するためには、どのような法的主張をすることが考えられるか、どのような手続を取ればよいのか、 あるいは裁判官として、具体的にどのような基準に基づいて判断すべきか、どのように手続を運営するか、 事件処理にかかわる法曹に自らを仮定してみることも、有用である。

法科大学院生には、リーガル・クリニックに積極的に取り組むとともに、将来法曹になるべき者としての自覚を持って、勉強していくことをお勧めしたい。

※筆者は、元裁判官