渋パブ・リレー・エッセイ (RELAY ESSAY)

町歩き

2011.2.23

弁護士 蛭田 孝雪

1 

その風景を見て、どこか古い記憶の中にあったような、初めて来た町なのに。そんな不思議な思いをしたことはありませんか?
 私は町歩きが好き。仕事で地方の都市を訪れた時、私は好んでその町を歩いてみる。赤く丸いポスト、文庫本しか置いていないような小さな本屋、水の出ていない噴水池などを目にした時、子供のころ育った町の記憶と、目の前の風景とが重なってしまう。懐かしいような、あるいはまるで幻想の中にいるような、不思議な気持ちになる。

2 

城下町、在郷町、宿場町、屋敷町・・・いろいろな町を歩いてみたが、あらためて振り返ってみると、中国地方の町を歩いていることが多いのに気がついた。備中高梁、吹屋、津山、倉敷、牛窓、岡山市内、防府、湯田温泉、萩、宮島、広島市内、津和野、益田、松江、大社・・・どの町も、それぞれの古い歴史を、大切に残している。何年か前に来たことがある町を、また歩くこともあった。その時には、歩く道を少し変えてみる。懐かしさと新鮮さが入り混じった町歩きとなる。

3 

町歩き、その時だけは非日常になる。だから私は町歩きが好き。行きかう人は、だれも私を知らないし、私も知らない。携帯は、勿論電源を切っておく。さすがに携帯を持たずにいると、少し不安になる。だから、非日常の中といってもグレーゾーン。
 ただ、以前と違い、このごろの町歩きはとても寂しい。岡山の地方都市に行った時のこと、駅前から続く商店街には、店舗募集の紙が貼られ、閉じたままのシャッターがいくつもあった。人もまばらで、出雲街道の町並みを歩いていても、ここは本当に出雲街道なのか、と思ってしまうほどであった。
 私は、歩きながら、その土地の言葉で話しをしている人と出会えることを楽しみにしている。でも、人の声が何もない。なぜ、こんなに寂しくなってしまったのだろう。誰が、こんなに寂しくしてしまったのだろう。

4 

最近は、地方に行くことも、ほとんどない時間が続いている。
町歩きといっても、何も地方に行った時だけのものでない。東京でも町歩き、そして非日常が楽しめる。もう1年以上前になるが、京王線の千歳烏山で電車を降りて、久我山駅まで、烏山の寺町を歩いてみたことがある。とにかく寺院が多いのには驚いた 関東大震災後に、浅草、本所、築地の寺がぞくぞくと移転してきたからだという。多分、都内でも珍しい寺院町ではないだろうか。
 國學院大學の付近では、広尾から、有栖川宮記念公園の自然の中を通り、元麻布から麻布十番へと歩くことがある。ここは大使館が多く、また、下り坂もあるので見晴らしがとてもよい。麻布十番の商店街では、下町的風景の中に十分溶け込んで、買い物をしている外人を見かけることもある。時間をみて、また歩いてみたいと思っている。

5 

最後に、私が「まちあるき」を、なぜ「街歩き」としないで、「町歩き」としているのか、分かりますか?