渋パブ・リレー・エッセイ (RELAY ESSAY)

ショートミステリーを書いてみました

2012.7

弁護士 蛭田 孝雪

前回のリレー・エッセイでは、「町歩き」をテーマにしてみました。今回、その続編でもと思ったのですが、少々趣を変えて、ミステリー小説の超短編を書いてみることにしました。   主人公は、「私」と称する人物、もちろん架空の人物ですし、内容もフィクションです。テーマは、読んでいくうちに分かると思います。
 では、お楽しみ下さい。


「黒崎の鼻にて」

1 

何年ぶりだろう、この駅に降りたのは。7,8年、いやもっと前だったと思う。相変わらず、ホームから改札口までは、長い昇り階段が続いている。階段の端を見ると、昇りのエスカレーターがあった。以前にはなかったものである。やっとここも、駅が健常者だけのものではない、ということが分かったのであろうか。
 改札を出ると、広いロータリーがある。その左側には、バスの停留所が、行き先毎に分かれて3か所ある。右側には、タクシー乗り場と、立ち喰いそば屋がある。改札を出た人々が、バス停に向かっていく。
 梅雨の中休み、雲の間から太陽が、もう夏の暑さに向けて身体を慣らした方がよい、と言わんばかりにその光を放っている。暑い。自動販売機でミネラルウォーターを買って、駅のロータリーを出た。

2 

私がこれから向かうところへは、歩いていかなければならない。バスはあることはあるが、1時間に1本あるかないかという少なさである。歩くのが嫌いでないし、まだまだ体力もある。歩いていこう。
 緩やかな県道の昇り坂を、南に10分程歩き、丁字路を右に曲がる。県道から市道に入るが、道はアスファルトで整備されており、歩きやすかった。ただ、道路の両端は畑だけ、太陽の光を遮るものが何もない。身体中から、じんわりと汗がにじみ出てきている。

3 

市道に入って20分程歩いたであろうか。やっと何軒かの民家が見えてきた。鄙びた漁村の始まりである。海まではあと少し。道幅がだんだんと狭くなる。途中、古い民家の庭先に、誇らしげにしているような大きな樹が見えてきた。そばに行くと、案内板があり、そこには、樹の名前が、「さいかちの樹」とあり、樹齢300年は過ぎているとあった。これだけの樹齢であれば、県か市の天然記念物に指定してありそうだが、そのような記載はなかった。
 狭い路地の間から、海が見えてきた。キャベツを山積みにした軽トラックが、私を追い越して海の方に走っていった。この先には、たしか農協が経営するスーパーがあり、多分、そこにキャベツを降ろすのだろう。

4 

砂浜に出た。日差しを遮るものはなく、広い砂浜と静かな波、そして白と青のコントラストがちょうどよい空がある。潮風がとても気持ちよく、私を吹き抜けていく。相模湾沿いにあるこの砂浜、夏になれば、海水浴を求める人で賑わう。私の足は、砂浜を北に向かって歩いていく。目的地まであと1キロ程か。波で湿った砂を選んで歩く。時折、波が私の足元をくすぐる。太陽が左後ろから照り続けている。ミネラルウォーターを飲むが、買った時の冷たさはもうない。

5 

砂浜の北側の端に着いた。「黒崎の鼻」と呼ばれているところである。ここは海とは、砂浜ではなく岩場でつながっている。キャンプをするのにちょうどよい広場があり、適度の草が生えている。小高い丘もあり、そこからの眺めは、富士山や伊豆半島がくっきりと見え、とても気持ちがよい。
 小高い丘の隣は、高台となっており、そこに大きな洞窟がある。戦時中、人間魚雷回転の秘密基地があった、と言われているところである。人が操縦出来るようにした魚雷に、若い兵隊が乗り、敵の艦船めがけて海の中を走って行き、そして、尊い命を失った。

6 

私がこの場所に来たのには、ある目的があったからである。7,8年前に、この洞窟の中に殺した死体を埋めたことを、一週間程前に、彼から聞いたため、それを確かめたかったからである。
 私と彼が出会ったのは、いや、正確には、彼からの突然のメールを受け取ったのは1年程前であった。そのメールによれば、彼は私の事をよく知っているとのことであったが、私の方は、彼のことは何も知らず、その時にその存在を初めて知った。メールの文面からは、とても気の合いそうにない、私とは全く性格の違う印象を、強く受けたことを覚えている。
 その後、彼とは何度かメールのやり取りをした。見知らぬ者からのメール、そのまま無視してもよかったが、なぜか続いてしまった。ただし、同時にメールのやり取りをしたことは一度もない。私が彼からのメールに気づくのは、いつも眠りから覚めた後である。頭も身体も重く、とても気分が悪い目覚めの時、彼からのメールがあった。

7 

一週間前、その彼から、これまで何人かの人を殺してきた、そのうちの二人はこの洞窟に埋めた、とのメールを受け取った。そのメールを見た私は、とても本当の話だとは思われず、冗談として読んでいた。しかし、読んでいくうちに、殺したという人物の名前を見て愕然とした。私の仕事に関係した人物の名前がそこにあったからである。
 私の仕事は弁護士、今日は、事務所の予定表には「一日外出中」と記してここに来ている。ストレスの溜まる仕事であり、その中で、深いストレスの原因となった人物の名前がそこにあった。
 なぜ彼がその人物達を殺したというのか、なぜ彼が私の心の中を知っていたのか、そして、本当に殺したのか、私には何も分からない。
 メールで、その理由をいくら問い質しても、彼は沈黙したままだった。

8 

私は、洞窟に埋めたとの話が本当かどうか確かめたい、といった衝動に駆られた。そして、この洞窟に来た。
 洞窟に向かおうとした時、突然、頭が割れるほど痛くなり、彼の声が聞こえてきた。その声は、「いいのか、もし洞窟の中に白骨化した遺体が見つかったら、お前はどうする気だ。俺を警察に突き出すのか。そうしたら、お前も終わりだよ。弁護士として生きてはいけないことになる。そんなことが分かっているのなら、どうぞご自由に。」と、人を蔑むような、そして楽しむような口調であった。
 私は、私は混乱した。そこには私の他には誰もいない。私は、洞窟の中に入るのを止めた。西の空を見ると、赤紫から暗い、(まるで私の心の中のような)暗い紫色に変わろうとしている夕焼けの富士山が目に入った。
 このまま帰ろう、私は一人で砂浜を南に歩いた。
 家に帰り、私はパソコンの前に行き、彼宛てのメールをキーボードで打った。そして、送信ボタンをクリックした。私と同じメールアドレスに向けて・・・。


(あとがき)
二重人格をテーマにしたミステリー、いかがでしたでしょうか。
前半で出てきた駅は、京浜急行の三崎口駅、砂浜は三戸海岸、小高い丘のある場所は黒崎の鼻という実在の場所です。また、人間魚雷回転の秘密基地があったとされる洞窟も実在します。
ところで、二重人格が法的に認められた場合、他方の人格で犯した犯罪と責任能力との関係はどうなるのでしょうか?