渋パブ・リレー・エッセイ (RELAY ESSAY)

退所の所感、あるいは「責任」について

2013.06

弁護士 湊健太郎

1  法律相談で相談者から、「私に責任はありますでしょうか。」と訊かれる。法廷で裁判長から、「被告人の刑事責任は重いと言わざるを得ない。」と断ぜられる。枚挙に暇がないが、弁護士という仕事をしていると、「責任」という言葉と出くわすことが多い。

 しかし、「責任」という日本語は、よくわからない言葉である。
責任はとらされるもの、できればとりたくないもの、という消極的なニュアンスを帯びているように感じられる。政治家も、官僚も、企業の経営者も責任回避の言動ばかり、と非難されたりもする。

 Responsibilityという英語がある。一般に「責任」と訳される。しかし、語の意義に忠実に訳出すると、「respondすることができること/能力」という意味である。すなわち、他者の呼びかけや求めに応答することができること/能力がresponsibilityである。ここでいう他者とは、家族、友人や隣人かもしれないし、またコミュニティや社会、国家でありうる。
責任という日本語とresponsibilityという英語がそれぞれもつニュアンスを比べてみると、自ら応答するという能動性の有無に、互いの相違を見い出すことができる。

2  私は、平成25年5月末日をもって、渋谷パブリック法律事務所を退所し、法テラス鹿屋法律事務所(鹿児島県鹿屋市)に赴任することとなった。
 渋パブでの1年2ヶ月は、文字通り、「あっ!」と言う間であった。毎日が過ぎ行くのを必死でしがみついてきたというのが、実相に近い。今改めて思い返すと、多くの人や出来事との出会いがあって、その都度、苦悩したり喜んだりの連続であった。今となっては、その出会いひとつひとつが懐かしく感じられるのであるから不思議なものである。いずれも私にとってかけがえのない財産である。
 このような場を提供し、ここまで私を育ててくれた渋パブに、ただただ感謝の念で胸が一杯である。

3  きっと、鹿屋では、新しい環境下で、新しい人・出来事との出会いがあるにちがいない。その出会いの中には、良い出会いのみならず、良くない出会いもあるにちがいない。しかし、そのようなときは、相手の呼びかけに応答するというresponsibilityの基本に立ち戻って、相手に寄り添うこと・相手から逃げないことを心がけたい。
 鹿屋で弁護士として働くというchanceを得た幸運を思うとともに、鹿屋の人々の呼びかけに応答すべく、気持ち新たに新天地に発ちたいと思う。彼の地にて、どのような人たちのどのような呼びかけが待っているのか−——想像を巡らせながら、「責任」に対する小さな不安と、responsibility=「呼びかけに応答すること」への大きな楽しみを感じている。