リーガルクリニックニュース (LEGAL CLINIC NEWS)

シンポジウム「リーガルクリニックの明日へのステップのために」
06.11.4
弁護士 道 あゆみ
 2006年11月4日(土)、着慣れないスーツに律儀に身を包んだ学生5名が、弁護士会館2階クレオの壇上に着席しました。彼らは、「リーガルクリニックの明日へのステップのために」と題するシンポジウム、第一部のパネリスト達です。

この日のシンポジウムの主催者は、國學院大學法科大学院、東海大学法科大学院、獨協大学法科大学院、明治学院大学法科大学院、そして、我が渋谷パブリック法律事務所です。同シンポジウムは、これまで2期にわたって実施したリーガルクリニックを決算し、今後より良いカリキュラムを提供する礎となるべく、企画されたものです。まず、冒頭の基調報告で、当事務所の三澤英嗣弁護士から、これまで実施してきたリーガルクリニックの概要(受講者数、実施方法、事件数・種類などの実施内容)が報告されるとともに、担当弁護士の反省や、学生から得たアンケート結果の内容が示されました。そして、これを受けて登壇した第一部の学生パネリストの面々には、リーガルクリニック受講経験者として、さらに突っ込んだ意見・提言を行うことが期待されていました。

以下は、第一部で出されたパネリスト達の提言の概要を、簡単にまとめたものです。

1) リーガルクリニックの実施時期・期間について
  まずは、リーガルクリニックを実施すべきは、最上級学年ではなく、もう少し精神的・時間的ゆとりのあるそれ以前の時期に、という意見がほぼ全員から出されました。その背景としては、パネリスト全員が、リーガルクリニックを受講して得たものは、法的知識の定着や、実務技能の習得、理論的思考力の増進と計り知れず、是非とも、1人でも多くの学生に受講させて欲しい、とのメッセージがありました。中には、法律基礎科目とクリニックを並行して実施し、互いの位置づけを確認することが、双方の学習効果の実を上げるため必須、との意見もありました。
そして、実施期間については、半期を改め通年とし、一つの事案を継続的に担当するチャンスが与えられるべき、との提案がなされました。
2) リーガルクリニックの実施内容について
  次に、クリニックの実施内容について、事件の数、種類、そして、学生の関わり方などに関連し、多岐にわたり意見が出されました。殊に、特定の事件をじっくりと担当すべきなのか、多数・多種類の事件をいわば広く浅く担当すべきかについては、双方の立場から意見が示されました。中には、民事のみならず刑事事件も扱いたかった、という要望も出されました。
3) 指導教員のあり方について
  そして、最後に、指導担当者である教員(渋谷パブリック法律事務所の実務家教員)に対し、その指導のあり方、学生への実務の関与のさせ方といった観点から、忌憚のない意見・提言が出されました。
特に、アンケート調査にも現われた、1人ではなく複数の実務家の指導を受けたい(あるいは、指導とまでいかなくとも、複数の実務家に触れたい)との要望は、その方法論はさておき、パネリストのほぼ一致した意見となりました。

さて、このような、魅力あふれるパネリスト達の意見に耳を傾けつつ、私自身が当日、シンポの現場で痛感したのは、以下の点です。

それは、法科大学院の学生は、そのほぼ全員が、「臨床教育を受けたい」という自然的欲求をもっているということでした。これは、考えてみれば、極めて当然のことです。彼らは、実務家になるという明確な目標をもって法科大学院に入学したわけですから、目指すべき世界に触れてみたいという思いをもたないほうが、不自然とも言えます。そんな彼らに、リーガルクリニックを受講しない選択をさせているとすれば、それは、とりもなおさず、カリキュラム提供者側(つまり、当事務所を含めたシンポの主催者等)あるいは制度の側の責任であると感じました。そして、私達が学生達の「自然的欲求」に誠実に答えたならば、彼らは確実に、この日のパネリストが1人残らずそうだったように、実に生き生きと、自分の言葉を語り出すのではないか、と想像しました。

 そんな思いを胸に第一部を終えて参加者席に戻ると、数分の休憩の後、第二部がスタートしました。第二部のパネリストは、カリキュラム提供者である4法科大学院の各教員です。つまりは、第一部で出された学生達の熱いメッセージに、この第二部が「答弁」する、という格好になったわけです。ここでは、リーガルクリニックの評価と反省が論じられ、学生達の要望をふまえつつ、今後どのように法科大学院側が力を尽くすべきかについて、意見が交わされました。研究者教員の関わり方や、刑事クリニック実施の課題など、難しい問題が提起されつつも、議論は、終始希望に満ち、前向きに進められ、来年度以降への展望を確実に示すものになりました。

―そう感じたのは、第一部のパネリスト達にもらったポジティブな余韻に、長らく浸っていた私だけではなかったと、確信しています。